さら~っとワーホリ体験日記 -ジンジン編①-
はろーみなさん。今日はさらっと書いていけたらと思います!
今回はジンジン編です!WA州の一大都市パースから北へ1時間半ほど走り、超ド田舎のジンジンというファームの町にきました~~。
と言っても、ジンジンには小さなバッパー2つとファームしかありません。ビビりました、何もなさすぎて(笑)
ドニーブルクも田舎っちゃ田舎でしたが、一応は町になっており、カフェやベーカリー、スーパーもあったのでとくに大きく不満を感じることはなかったんですが、ここは別格でした。。
ただここには、大手ホワイトファーム会社で有名なCostaがあり、そこにアプライしようと考えていました。Costaはオーストラリアにところどころ存在するのですが、WA州ではここが唯一の場所になります。Costaについてのアプライ方法は、また後ほどさらっと書きますーー。
その他のファーム、バッパーの情報はネットでもほぼないので、直接ジンジンに行って体当たり調査することに!バッパーはふたつしかなく、近いとこの位置してるので、google mapで調べてどちらも行ってみました!
一つ目は、Brookside budgetというバッパーです。
金額は正確に覚えてないのですが、$120/week ぐらいだったと思います。。
こちらは比較的きれいでした。個人の部屋までは入ったことないので、紹介できないのですが、住んでる人からは中もきれいなほうだとのことです。中央のビリヤード台などがあるスペースで和気あいあいと過ごしている人たちが印象的で、こちらに泊まってみたいと思いましたが、そのときは部屋が空いておらず、断念。。しかし、オーナーはこちらの連絡先を聞いてくれて、空きが出たら連絡するとおしゃっていただき、空き待ちみたいなことはできましたので、ぜひ使ってみてください!
二つ目はEshcol Springs というとこです。
こちらはまさにバックパッカー!という感じで、$90/week ワイルドな宿になっています(笑)庭にはワラビーやカンガルーなど、野生の動物「あ、どうも。」ってかんじで毎日出現します😁
広めの敷地内に複数の小屋が別々にありそれぞれキッチン、ベッドルーム、プレイルーム、シャワールームと分かれています。
プレイルーム→
←庭
綺麗ではないですが、ぜんぜん許容範囲内で、ぼくはけっこう好きでした!
ぼくが行ったときは日本人もおらず、ヨーロピアンを中心としたまさに自分が求めていた環境でした!すぐにオーナーと話して空きベッドがあったので、なんとか泊めていただくことに成功しました!
よさげな環境も見つかり、さぁ次は仕事探しのはじまりだぁぁぁ!
さら~っとワーホリ体験日記 -ドニーブルク完結編-
はろーみなさん。前回に引き続き、黒歴史ドニブル編です。笑
さっそく続き書いていきます!
前回めちゃめちゃ怒られたんですが、一応クビにはならなかったのでそのまま働き続けることが出来ました!
それでもオーナーの目が気になる毎日、どうしても英語より日本語で生活する割合が大きくなってしまうことが自分のなかでストレスになっており、常になんのためにきたのか、そして自分がなにをしているのかを自問自答。。。
これじゃあ本当になにも変わらない。なんて自分は弱いんだと、自分を変えるためにきたのに同じような自分の内面の壁にぶつかり、なにひとつ成長していない自分が本当に嫌でした。「環境を変えれば自分も変わる」これを完全に鵜呑みにしていたわけじゃなかったけど、これを信じていた自分と変わらない現実。
最近多くの有名な方が、環境を変えなさい。そうすればあなたも変わる。と言っておりますが、当たり前ですが「絶対」ということはないんだなと。
そのときに、自分のなかでの新しい行動指針のようなものがなんとなく作られました。
じゃあ結局、変わるにはどうすればいいのか。
いまのところのぼくの意見では「目標もって環境を変え続けつつ、自分の行動も変える」です。たぶん親の世代とかの人が聞くと「なにを甘ったれたことを。その環境で自分が出来ることをやれ」という方も多いかもしれません。まぁ甘えなんですけどね(笑)
でも、その甘えの定義ってなんですか?多くの言葉の定義は時代の変化とともに変わっていきます。言葉はただのツールですからね。挑戦し続ける人を甘えと呼びますか?
ぼくのなかでは、いまこれだけ選択肢がある時代に愚痴ばっかりこぼして人生の質を下げてしまうのは本当にもったいないし、甘えなんじゃないかと思います。
なんか、目標って言ったらすごい偉そうですね(笑)
適当な言葉が見つからないんですけど、そんな立派なものじゃなくて、もっと直観的でいいと思うんです。きれいな景色が見たいとか、ちょっと休憩したいとかでワーホリにくるのも立派な目標です!間違いなく!あと、考えながら行動して環境を変えていたらなんとなくその直感が磨かれます。笑
っていうか、当たりはずれはないんで後から自分がどう解釈するかなんですけどね!
「You can't connect the dots looking forward, you can only connect them looking backwards」
-(人生の)点と点は振り返ってみて、初めて線になる。-
有名なスティーブジョブズのスピーチの一部です。このスピーチでは、そのほかにも2つのストーリーを話してるんですが、あんまりぼくには響かなかったっていうのが正直なとこです。。。笑 もちろんとてもいい話なんですよ! ただ、このスピーチであまりにも分かりみが深かったのがこれでした。
今でもどう行動するか迷ったときに、どちらの行動をとってもあとから振り返れば線になるのであれば、どうしたいか問いかけて決めます。
ドニーブルクでそんなことを考えながら、過ごしているとオーストラリアも本格的に冬になり、ファームの仕事も減ることで友達もだんだんバッパーを離れていきました。ぼくのファームはパッキングもあったので、仕事はあったんですが、オーストラリアにきた目的を考えると、早めに次の行動をとるのが一番だと考え、でることにしました。人が少なくなるとオーナーの目もこちらに向きやすくなっちゃいますしね(笑)
で、次の計画なんですが、いつもガチガチに計画しちゃってうまくいかなかったので、今度はゆるめに計画して成り行きに任せつつ、そのなかで考えることにしました。そのほうが、本当に自分がしたいことが分かるんじゃないかと思いまして!笑
次の計画はこんな感じ!!
とりあえずの次の目的地はジンジンという、パースから北へ1時間半ほどのファームの町に行きます。ちなみにジンジンはほぼ町じゃありません(笑)スーパーもなにもないです。ガチで。バッパーとファームしかありません。車がないと生活できません。一番近くて車で30分走ったとこに小さな小さな町がありそこにやっとIGAという田舎を代表する小さなスーパーがあります(笑)
ここは日本人が本当に少ない(なぜか日本の方って車を買いたがらない・・・)ので、英語を話す環境づくりにふさわしい!あとファームの仕事を探して、あわよくばセカンドビザの条件クリア目指しました!
で、黄色の線なんですが、これは万が一ジンジンでファームが見つからなかったときの候補でした!このブルームという南国の街が気になって、ジンジン寄らずに直行しようかと思ったんですが、どうせ通り道だし、まぁいっかと思って第二候補にしました(笑)
ブルームについて少し説明させていただくと、季節は10~3月の雨季と4~9月の乾季しかありません(シーズンの月は感覚なので多少違うかも)雨季はジメっとして雨や雷が。。
乾季はその時期オーストラリア全体では冬なのですが、国内で最も過ごしやすいと言われるほど温かく、空も海も最高にきれい。また乾季のブルームでしか見られないという神秘現象「月への階段」も有名で、大勢のオージーもこの時期バカンスに訪れます。
そして、なんといってもローカルジョブの宝庫で世界中のバッパーがこの小さな町に集まり、がっぽり稼いでいくほど給料もいいのだとか。。
この「ジンジンで仕事なければブルームに行く」作戦でいくことにしました。
結果どうなったのかはまた後日書きます!
と、いうことで、ドニーブルクの次の計画が決まったので、そのバッパーで一番仲が良かった人と同じタイミングで出ることにし、無事に黒歴史ドニブル編完結とさせていただきます。
なんか改めてみると結構書いたけど、大したことしてないなぁって思いますね(笑)
もう少し文短めに、でも伝えたいこと、読者さんの知りたいことはしっかりと伝えられるように日々精進していきたいと思います!
いつもの如く、質問でもなんでもウェルカムなので気軽にご連絡ください~~!
では!!
さら~っとワーホリ体験日記 -ドニーブルク中編-
はろー、みなさん。前置きのなにかを書こうかと思ったんですが、特に思いつかなかったので、早速前回の続き書いていきます(笑)
(前書き毎回おもしろく書けるブロガーさん、ほんとに尊敬します😲笑)
前回は仕事当日の朝、入口分かりにくいからとGoogle mapで事前に説明受けていたにも関わらず道に迷って、人生の路頭にも迷ったとこですね(笑)
仕事開始の時間も過ぎてしまったとこで、宿のオーナーから電話が!!
正直、終わったと思いましたね。。めちゃめちゃ電話にでたくなかったんですけど、助手席のぼくしか電話とれないので、とりました。
「は、、は、、はろ『WHAT THE F○○K ARE YOU DOING!!!?』」...(⊙_⊙;)(⊙_⊙;)(⊙_⊙;)
この日人生で初めてまともにFワード食らいました。記念日ですね。笑
もはや叫びに近い一方的な通話で、スピーカーにしてないのにスマホを顔から30センチ以上離して聞いてました。「お前らどこにおんねん!?あん!?」「この恥さらしが!」←(たぶんこれは言ってない。笑)など、言われつつもう少し注意して探してみることに。
オーナーからそりゃもう熱烈な声援(罵詈雑言)をもらいながら、なんとか30分遅れぐらいで到着。仕事場のオーナーは「ここの入り口分かりにくいのよねぇ~。」と言われただけで特になにか言われることもなかったのが、不幸中の幸いでした。
その日は梨のパッキングだったので、その説明をうけて仕事へ。仕事内容は2グループに分かれ、梨の状態を確認しへたを切りベルトコンベアに乗せる係、それをサイズ別にパッキングしていく係で仕事をします。ぼくは前者しかやったことないので、後者は分かりませんが、へた切り係の方が楽って意見が多かったように思います。ヘタを切る際には「絶対に本体に触れるな、時間がたつと変色して売り物にできない。でもぎりぎりまで短く切り、そして早く作業しろ」と言われ作業開始。最初は遅くて急かされていましたが、全く同じ作業の繰り返しなのですぐに慣れました。ただ、退屈すぎて時間たつのがめっちゃ遅く感じ、いかに無心でやるかの勝負でした(笑)調子がいいときは、ほぼ瞑想に近いぐらい頭の中空っぽにして作業できましたね。
このファームはそのほかにも、プラム(すもも)のパッキング、リンゴのピッキング、梨の鉢植えとピッキングなど、年間通して仕事があるようないいところでした。時給制で$20ぐらいあり、よく聞くブラックなファームに比べてかなりホワイトだったと思います。
さて、初日の仕事も終わりいよいよ宿に帰らなければならなくなり、もういっそのこと今日は帰らないでおこうかと考え始めてたころ、今朝のハプニングをぼくと共にした男の子は、この状況をどう思っているのか気になり「あー帰ったらオーナーにめっちゃ怒られそうだね、、」と話しかけると
「え?そうっすか?まぁしゃーないっすよ、そんなんほっときゃいいですって(笑)
それより今度ワイナリー行きましょうよ!けっこうこの近くにあるんで!」☜(゚ヮ゚☜)
と、眩しいぐらい爽やかにあっさりと言われました(笑)
すげぇ気にしない人なんだなぁと思ったのと同時に、自分がオーストラリアに来たきっかけを思い出しました。そう、このかんじ。この「まぁいっか」「なんとかなるっしょ」を身につけたくて、ここにいるんだと。彼も内心、めんどうだなぁ、っと思ってたかもしれない。でも彼の中で無意識的にか「怒られるのはイヤだけど起こったことはどうしようもないし、そもそも自分の価値はそんなことで変わらない」と頭だけでなく、心から理解しているんだと。人生を楽しむため、成長するために不可欠なこのマインドを獲得しにオーストラリアに来たんだと再確認できました。
これに気付き「よーし、おれももっと図太くなるぞ~」って思って宿に帰ると、案の定、宿のオーナーが仁王立ちで門の前にお待ちになられてました。笑
その後、しっかりこってり絞られ、見事にへこみました。笑
いやー図太くなるってなかなか難しいねぇ。。
とまぁ今回はここまで!読んでいただきありがとうございます!
なんかブログって難し~~。ただの経過録だと読む方の興味が向かないだろうし、書いてても面白くない。かといってそのときの状況や感情を書きまくって長くなると、これまた微妙と。。
う~~ん、まだまだ頑張らないとねー!
ワーホリに関してやファーム等の質問もいつでもお待ちしておりますので、気軽にご連絡くださいな🤗
次はドニーブルク-完結編-になるかな?
では!!
さら~っとワーホリ体験日記 -ドニーブルク前編-
前回のお話は、パースについて学校行ってたけど意味なくね?ってなってドニーブルクに仕事を斡旋してくれるバッパーがあるから行ってみなよと言われ、車買ってファームをやりにパースの南側にあるドニーブルクに来るとこでした。
..............そこでは地獄を見るとも知らずに。。。。
もうね、まぁ全部自分が悪いんですけど、よくもまぁこんなにいろいろやらかせたなと、当時の自分がこのブログのためにわざとやったんじゃないかと思うほど、いろいろありました。
車で2時間ぐらいで、そんなに遠くなかったです→
まず宿について、オーナーから説明を受けます。オーナーはほとんどアジア人しか受け入れしておらず、宿はバッパーの中でもかなりきれいな部類でしたね!そしてルールなどを聞いていて(まぁ英語力が残念だったので、雰囲気で察してたってかんじです(笑))いくつか引っかかるところがありまして。。。
まずルールが多くかつオーナーがわりとキツめな性格でした。
シャワー1人3分だったか5分だったか、時間設けられてました😅女性はおおめに見てもらえるのかもしれないけど、それでも韓国人の女性が15分ぐらい入ってたときオーナーがシャワー室の前に立って、女性が出てきたところをものすごい形相で「そんな長いこと何やってたの!?」って言うこともありました。。。いや、女性で15分のシャワーって化粧水やドライヤー考慮するとむしろ短いでしょうに(⊙_⊙;)。。
キッチンは21時に閉まり、その後一週間ごとのローテーションで組まれた掃除のメンバーが掃除して、そのあとはコモンスペースではあんまり音を立てないようにとのこと。オーナーはキッチン・コモンスペースからつながる部屋で寝ていたので、普通に話していてもうるさいって部屋から出てきて怒られます(笑)
とまぁ、けっこうルールも厳しいかつ、すぐ怒られる場所でした。
そして、のちのち一番後悔したことが英語を話して生活する環境じゃなかったことです。日本の方も多く(ぼくがいたときは7割ぐらい)日常の会話はほぼほぼ日本語。オーナーとは話したくもなかったし、他の中国人や韓国人の方に積極的に話そうと心がけていました。しかし、英語力のつたないぼくでは会話も続かず、たいした話もできず、ただ中国人のグループに入り、中国語を聞く毎日でした。。。なんだか国別や日本人の方の中でもグループが出来ていたりと、オーナーの目も気にして、グループも気にして・・・と、とても居心地が悪かったです。。
今考えると、情報収集の際にもっとその宿について調べるべきだったし、ルール説明段階で入居を断るべきだったと思えるのですが、これが初のバッパーって言うこともあり、こういうもんなんだって受け入れてしまいました😅
さて、仕事の方なんですが、こちらも散々でした。笑
まず初めての仕事、クビになります。笑
はい。自分でも驚きました。自分の仕事のできなさに!!!😭
最初にいただいた仕事はグレープの収穫でした。こちらの仕事はセカンドの日数がカウントされるわけでもなく、1日だけ働きその日の終わりに現金でお給料がもらえるとこでした。仕事の話をもらったときにほかの人にグレープの収穫について尋ねると「めっっちゃいいよ!かなり楽だぞ!」って言われてけっこー安心していましたが。。笑
グレープファームのオーナーはとにかく素早く仕事をしろ!と開始の時点で言っておりましたが、同時に獲ってはいけない状態のグレープについての説明がありました。腐ってるやつやまだ未熟なやつですね。正直みんな気にしてなかったと思うのですが、ぼくはなぜか気にしてしまい「お前、遅すぎ!もういいどっかその辺にいろ!」って言われ開始数時間でクビに。。。まぁその働いた分の給料はもらえたぶん優しいとこだったなぁと思いますが、めちゃめちゃへこみました(笑)正直、思い出したくもないのですが、この記事でネタになり、みなさんに少しでも勇気を与えられれば幸いです😅
もちろんこの仕事もバッパーのオーナーからいただいたもので、途中でクビになったこともオーナーには連絡されておりました。めっっちゃ怒られました。まぁなに言ってるかは分からなかったんですけど、とにかくコテンパンにされました。友達にも恥ずかしくてあんまり言えず、もう仕事もらえないんじゃないかとか、もらったとしてもまたクビになるんじゃないかって、悩みましたね~~。。。
その数日後、今度は長期で働けてセカンドの日数にも加算される仕事をもらえたのですが、バッパーのオーナーからは「ホントに今度はしっかりやれよ。またクビになったら仕事もうやらないから」って言われ、ぎょえ~~😱ってなってました。
けど、やらかします。流石です。笑
「仕事場の入り口は分かりづらいとこにあるけど、このマップのここから入れるから」とスマホの画面を見せてもらい、自分のマップにもお気に入り登録しました。このとき、日本人でぼくより若い男の子と一緒に働き始めました。仕事当日、お互いに車を持っており、週替わりで車を出し合うことでガソリン代は払わないシステムで話し合っていたので、ぼくは助手席に座ってナビゲーションしていました。
しばらく走っていて異変に気付きます。
「あれ?入口どこ?」
・
・
・
・
・
・
・
今回はここまで!読んでいただいてありがとうございます!
さぁ~、まさかの仕事初日の朝に迷子になる、しかもあらかじめ入り口が分かりづらいからと入念に説明を受けていたにも関わらず、迷子になってしまうアホ具合。
生きて帰れるのでしょうか。と、いうか仕事よりも宿のオーナーに殺されてしまうかもしれない。
緊迫したこの状況と結果をまた次の記事に詳しく書いていきたいと思います!
ワーホリについての質問や相談等は常に受け付けているので、気軽にコメントください~~。
では!!!
さら~っとワーホリ体験日記 -パース編-
前回までは出発の経緯をお話させていただいたので、今回はオーストラリア到着からお話していきまーす。よかったら最後までお付き合いください!
日本にいたときからWA州のパースという街に滞在することを決めており、日本からメルボルン、そしてパースへとやってまいりました。ついたときはなんだか疲れていたこともあり実感がなく、ただホームステイ先に行くことだけを考えていました。ホームステイ先では、60代の夫婦が温かく受け入れてホッとしたのもつかの間、学校への行き方を調べたり、公共交通機関の使い方を説明してくれたりと、ものすごい勢いで質問と説明され、英語もよくわからないぼくに英語のシャワーが待っていました。。😂 もう分からな過ぎて、歯医者の「痛かったら手を挙げて」ならぬ「ぜんぜん分からなかったら手を挙げて」をやっていました。。笑 でもぜんぜん話進まなくて、1時間ぐらいかけて、チケットの買い方、バスの乗り方、学校までの行き方を知りました。たぶん普通に説明すれば5分ぐらいで終わる内容でした(笑)その日は、シャワーを浴びて死んだように寝たのを今でも鮮明に覚えています。。このときは「まぁ初日だし、英語も分からんけど学校行けばちょっと分かるようになるだろうし、働き始めれば日常的な会話はできるようになるっしょ」ぐらいに思ってました(笑) 日本で鬱になってた人とは思えないぐらい楽観的ですねー😅
学校も始まり、なんとなーく過ごして一か月目ぐらいたったころ、ふと「あれ、学校行く意味ある?」と思い始めました。まず、語学学校のクラス分けなんですが、基本的に入学前にテストを受けて、その結果から学校が英語力別にクラスを振り分けるというシステムで、ぼくは下から2番目のクラスでした。時期や学校によりますがだいたい中学校英語の基礎ができてないレベルです。このクラス分けは文法だけではなく、スピーキングも加味されるのですが、そのときのクラスでは日本人の方も多く、クラス全体としての活気があまりないようなクラスで、日本で英語の授業受けるのと大きく変わりませんでした。しかし、それを変えたり、クラスの他でつながりを作ったりする勇気が自分にはありませんでした。情けない。。。笑 たしかに英語を話せる環境に飛び込んだんですが、自信のなさや変なプライドが話す機会をことごとく逃していました。
「英語は話さないと話せるようにならない。スポーツと同じだ。ルールを知ってもできるようになるわけじゃない」
これはおそらく皆さんも聞いたことあるかもしれません。ぼく自身も渡豪前にはしっかりとそれを理解したつもりでいました。しかし、いざ海外にくると、いざ挑戦しようとすると、ぼくの一部自身がそれを止めようとします。恒常性ってやつですね。このオーストラリアにまで来て殻を破れずにいる自分が本当に嫌でした。
一か月経ち、ぼくは学校を一度やめてセカンドビザ取得のためにファームに行くことを決意します。もともと4か月学校に通ってからファームに行く予定だったのですが、卒業後は真冬でファームの仕事が減ること、もっと英語を使わないと生きていけないぐらいの環境に身を置いて、無理にでも英語を話し、話すことへの抵抗感を減らしたかったこともあり、学校に相談して残りの分は後から使えることも確認できたので、オーストラリア生活1か月半で学校をやめてファーム探しにでます!(なんでこんな行動はできるのに、もっと他の人に話しかけるってことが出来ないんでしょうね(笑))
ファームは基本的に僻地のほうにあるので車があったほうが仕事が見つかりやすいということで、中古車屋を調べて見に行きました!ほんとにまったく英語が分からなかったのでめちゃめちゃ不安だったのですが、ネットで中古車を買う時の注意点など調べ、なんとか購入!
周りからは「めっちゃかわいい」ってさんざんほめられ(バカに)されました笑
↓
しかし、この新しい相棒がぼくのワーホリを変えてくれる存在になります。もう少し先の話ですが(笑)
ファームを探してパースより南のドニーブルクという街にきました。というのも、パースで情報収集しているときに冬でも仕事があり、かつ宿のオーナーが仕事を斡旋してくれるということで、その宿に泊まることを決めていたからです。新しい相棒も決まり、仕事ももらえそう、宿も決まっているこの状況にぼくは「やっとワーホリが動き始めた」とワクワクしていたのを覚えています。
結果からいうと、ワーホリ生活の中で1,2番目ぐらいにしんどい期間になりました😅😅
とりあえず今回はここまでで、パース編を終わりにします。
次回はぼくのなかでかなりきつかったドニーブルク編をお話したいと思います。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
学校についてや生活の仕方、ファーム、車の購入など、詳しくは書いていませんがなにか質問等あれば気軽にコメントください!
なにかぼくの経験が一つでもお役にたてると嬉しいです。
では!😁
さら~っとワーホリ体験日記 -出発-
2019年2月からワーホリでオーストラリアにきたので、つれづれ~っと書いていきます。今はコロナで世界的にパニックになってるけど、暇つぶしにでも読んでもらえると泣いて喜びます!!
では、はじまりはじまり~~~
↓
↓
↓
↓
ワーホリには、なんとなーーーく行きたいなぁ。とりあえず3年ってみんな言うし、それまではなぁって思いながらも、毎日に追われていた看護師1年目。2年目になって人間関係の摩擦や仕事ができない不甲斐なさから死んだように生きてました。。笑 周りからは「看護師なんてそんなすぐ仕事できるようにならないよ。みんな同じ」って100回は軽く励まされたと思います😂 でも周りに迷惑をかけている自分が受け入れられなくて、どうしたらもっと図太く生きていけるのかを自分の部屋で足を抱えて延々と悩んでいました。
ほんとにコレ笑→
でも、やっぱり答えが見つからなくて、よくテレビでやってる外国人の変な挑戦を死んだ目で眺めては
「なんで外国人ってあんなに無邪気で人生を楽しむのが得意なんだろう。。」←完全に偏見(笑) って思っていました。職場で先輩との関係にも悩んで鬱っぽくなってて日勤の朝とか「この階段から落ちれば仕事に行かなくていいかもしれない」って本気で思っていました🙄 まぁ文に起こすと一般的なうつ病なんですが、残念ながらほとんどの看護師がそう思ったことがあるはず。いや全員だ!(笑)しかも一度や二度じゃない。なんなら看護学生さんも絶対にあるはず。だから「みんな通る、当たり前の道」だと思っていました。。。
シンプルに怖いですね(笑)
でも、そんな日々を送っていると、ふと「あ、おれこうやって何もせずに死んでいくんだ」って思うようになり、今のままだと後悔するって確信するようになりました。。なかなか偏ったやばい思考ですね(笑)
で、やりたかったことのワーホリを思い出して、陽気な外国人のなかで暮らせば自分も少しは陽気に人生を過ごせるのではないかと思い、ワーホリを決意!
で、国はオーストラリアを選んだんですが、理由はとくに大きなことはなくて「陽気な外国」というイメージのある。温暖な気候。ワーホリの取得条件が難しくない。給料もいい。とかでしたね(笑)
あ、あとはコーヒーが大好きだったのでオーストラリアの独特なコーヒー文化に触れたり、そこでバリスタとして働きたかったっていうのもありました!
ちなみに、みなさんご存知のスターバックスなんですが、実はオーストラリアにはありません。
そして今後もできる予定はないそうです。
以前にスターバックスがオーストラリアでの店舗展開を始めたそうですが、もともと独自のコーヒー文化が根強いオーストラリアでは流行らなかったそうで、スターバックスは店舗の拡大をあきらめ、オーストラリアから撤退しました。
いちおう、メルボルンやシドニーの大都市には「スターバックス」という名前のお店はあるのですが、経営権などはすべて現地のオーストラリア人にあけ渡しているそうなので、実質オーストラリアにはスターバックスがないということになります。
この話を知ったときは「ほう!あのスターバックスさえも諦めるほどの根強いコーヒー文化!ぜひ我がスキルの礎になってもらおうぞ。(ここでバリスタしたらいい経験になりそう)」と思い、最初の目標はバリスタとして働くこととしていました!
そして、2019年2月末より人類のるつぼ、オーストラリアへワーホリにきました!🌏
とりあえず今回はここまで!
さぁ事実上の国外逃亡したわけですが、果たしてそんな逃げただけで人生上手くいくのでしょうか!次回の投稿も読んでくださると、オーストラリアから声を大にして感謝を伝えます!
ありがとおおおおおお!
あ、ワーホリの準備について等は端折ってますが、なにか質問等あればなんでも聞いてください!僕の産毛ほどの経験と知識でもサポートできるように一緒に考えますので!😁